みらい学舎

テキスト

千葉県の白浜(現南房総市)出身の私は、小学生の頃からスポーツに没頭し、「勉強は学校でそこそこできていればいいや。」と考えていました。
実際に小学生の頃は器械体操で全国大会に出場、中学生の時は陸上競技で千葉県を制し、関東大会や全国大会、ジュニアオリンピック出場(当時の全国ランクは最高11位)という結果をだせました。本当に一生懸命に練習した結果です。
しかし世の中はそんなにあまくはなく、高校生活ではそれまでのツケで勉強面での苦労が待っていました。義務教育ではない高校生ですから、テストのたびに苦手教科は赤点の恐怖と闘っていました。こんな生活なので競技の成績は上がらず、高校時代では一度も全国大会に出場できませんでした。
「悔しさはバネになる」は本当でした。「憧れのユニフォームを着て、もう一度国立競技場で走りたい」その想いが私の起爆剤となり、人生で最大級の勉強に打ち込むきっかけとなりました。
部活だけの高校生活ではなかったことが救いとなり、猛烈なラストスパートの結果、現役で早稲田大学に合格し、高校の卒業式翌日から大学での競技生活を早稲田大学競走部(OBにはマラソンの瀬古利彦氏などオリンピック選手多数輩出のクラブ)で過ごすことができたのです。
あいさつ(おはようございます、こんにちは、さようなら)、感謝の気持ち(ありがとうございました)、目上の先輩との接し方(敬語)、楽しさ、悔しさの合宿所生活も私の人生で最大の宝物です。(毎日が日本代表クラスの選手と過ごす空間は、他では決して体験できませんからね。)

ちなみに妻は同じ早稲田のバスケットボール部に所属していて、大学の研究室で知り合いました。母となった妻は児童館に勤務する傍ら、以前は「ASAKAいくじネットワーク(子育て支援ボランティア当事者団体)」を仲間と設立し、朝霞市内に子育て中の親子が集う場を展開したり、現在も「あさかプレーパークの会」に参加して、子どもの“遊びや育ち”を守る活動をしていました。今はみらい学舎で文系の担当です。


競技を引退し、大学院を経て新座市、和光市、練馬区に教室を持つ塾での理数系(算数・数学・理科)の受験指導を約20年続けました。塾講師になりたての頃は、「生活費を稼ぐため。」という気持ちでした。
しかし、毎日子ども達と接していく中でいつの間にか「この子たちが合格したときの笑顔が見たい」という思いが強くなり、しだいにのめりこんでしまいました。教え子達の中にはもうパパやママになっている人もいます。

長年の塾人生活では、大手塾が競い合っている難関校の合格者「○○中学合格者○名!」「○○高校合格者○名!」は、たくさん経験しました。国立大学の付属中学や男女御三家とよばれる筑波大学付属中、お茶の水女子大付属中、学芸大附属中、桜蔭中、女子学院中、雙葉中、麻布中、武蔵中、駒場東邦中、海城中、巣鴨中、豊島岡中、白百合学園中、近くでは立教新座中や城北中なども多数います。

また、何とか低迷から抜け出して私立中に合格したいと、大手の他塾から転塾してきた子ども達(偏差値40台からのスタート)も、がんばって日大二中や成城中、城西川越中などに合格してくれました。

高校入試でも筑波大学付属駒場高や東京学芸大学付属高をはじめ、開成高、桐朋高、海城高、巣鴨高、城北高、豊島岡女子高といった進学校や、早稲田・慶應・中央・立教・法政・明治・青山学院・学習院などの私立大学付属高、都立・県立トップまで含めると500人は超えています。また、会場テスト(北辰テストなど)での偏差値が50に満たない子ども達とも接してきました。みんな同じ私の大切な教え子達です。ちなみに2007年は和光市で指導して、中3の2学期以降の北辰偏差値は個々の差はありますが毎月上昇していき、川越、川越女子、松山をはじめ、川口北、和光国際、朝霞、朝霞西、新座総合などの近隣県立高校に合格していきました。

小学生の頃から在籍していた子もいれば、中3の夏期講習会からの遅い入塾の子まで色々いましたが、彼らに共通していえることは、「学校」「塾」「家庭」での偏りのない学習習慣ができたことでした。
(学習習慣を身に付けさせるにはワザがあるんですよ!)

みんなが初めから全てできているわけではありません。根気強く語りかける。やる気に火をつける。時には厳しく叱咤して、ようやく“フツーの小学6年生、中学3年生”から“受験生”へと成長していきました。もちろん保護者の方々のフォローも大変ありがたかったことです。こういった子ども達や保護者の方々に支えられ、社会人としての生き方を教えていただき、今日の私があります。

「大手企業塾にはない身近な塾」のあたたかさを打ち出したい。
子ども達と正面から向き合える熱い塾を創りたい。
そして勉強の楽しさを伝え、忙しいクラブ活動をしているからこそ集中した勉強ができるということを知ってもらいたい。

子ども達の質問や疑問には必ず応え、今日の勉強のポイントが分からないまま、明日につなげることはしない。それが私の塾人としての目標です。

※日本メディア教育株式会社のインターネット上のwebコンテンツ「中学受験JMEDIA」に、中学受験の小6算数担当講師として参加しています。
http://www.jmedia.ne.jp/ です。ぜひ一度ご覧ください。)

 

普段は「不言実行」を良しとしている私ですが、今回は皆さんに私を知ってもらい、PRする意味で、自慢めいたことも多々書いております。あしからずご了承ください。

兵庫県養父市生まれ。といっても、皆さん馴染みのない地名だと思いますが、冬には雪が降り積もるスキー場のある町で、私が生まれた時(1月)には、病院の2階まで雪があったそうです。そんな町で高校卒業まで過ごしました。
小学校時代は、バレーボールに夢中になり、放課後はバレーボールの練習、それ以外の日はピアノ・珠算・習字などの習い事、また児童会長の活動など、今振り返るとそれなりに忙しい毎日を送っていたように思います。 当時から本(特に推理小説)が大好きで、図書室のホームズ・ルパン・明智小五郎シリーズを借りては、本の世界に入り込んでいました。卒業文集には「将来は小説家になりたい」と書いています。皆さんも自分の好きなものでかまいません、たくさんの本を読みましょう!
中学校時代は、バレーボールから一転、憧れの吹奏楽部に入り、これもまた夢中になりました。夏休みにはコンクールの練習に加え、ハードなマーチングの練習が毎日あり、中3の夏休みも受験勉強どころではありませんでした。志望校については問題ないと言われていましたが、他の部活の同級生がすでに部活を終え、勉強する時間を確保できている中、部活ばかりの生活に少し不安を感じていました。11月下旬にようやく部活を引退し、入試まで残り数ヶ月、不安を解消すべく勉強しました。そのおかげか、受験した県立の進学校に1位で入学することができました。ですから、部活やクラブで忙しい皆さんも大丈夫!自分の行きたい学校をあきらめず、限られた時間の中で集中して一緒に勉強しましょう!私たちは、そんな皆をこそ応援しています。

高校時代は、1位を守りたいという思いと、絶対国立大学に行きたいという思いで勉強していました。その結果、3年間何とか1位を死守することができました。とはいえ、決して勉強ばかりしていた訳ではなく、引き続き吹奏楽部に入って毎日練習もしていました。 高校時代最も印象に残っているのは、中学校時代大嫌いだった数学を不思議なくらいできるようにしてくださった先生です。志望校の神戸大学は、センター試験だけでなく、文系の学部でも二次試験に数学があり、どうしようかと心配していたのですが、その先生のわかりやすい授業のおかげで、解き方をつかむことができました。今でも本当に感謝し、尊敬しています。 教師の職に就いた今、私もそんな存在でありたいと思っています。今は国語や英語が嫌いだった皆が、私と一緒に勉強しているうちに、いつの間にかできるようになっていた!と言ってくれる日を楽しみにしながら、授業をしています。

大学はキャンパス(六甲山にあり、毎日‘神戸100万ドルの夜景’が見放題)への憧れから、神戸大学の経済学部に入学しました。ですが、隣にある法学部の授業の面白さに気づいてしまった私は、経済学部の授業は必要最低限受講し、六法を買って民法・刑法・刑事訴訟法・商法(会社法)といった法学部の授業ばかり受けていました。また、裁判を傍聴に行ったり、裁判所見学で裁判長の席に座って喜んだりしていました。 そんな大学時代、一番力を入れていたことは、日本語教師の資格取得と地域の日本語教室のボランティアです。受講料が安い通信教育を利用しながら自分で勉強し、試験に合格して日本語教師の資格を取りました。それと並行して、地域に住む外国人の皆さんを対象にしたボランティアの日本語教室で、ペルー・ブラジル・韓国・中国など色々な国の人と一緒に楽しく勉強をしていました。日本語学習者が多い韓国のハングルも勉強しました。ちなみに、今は東方神起の大ファンです(笑)。 卒業後はこの日本語教師の職に就くことも考えましたが、塾講師の道を選びました。4年間奨学金とアルバイト代で生活していましたので、せっせとアルバイトもしていました。相変わらず小説家への憧れを持っていたため、本の代筆(ゴーストライター)や校正のアルバイトをしたり、塾講師のアルバイトをしたり、色々な仕事を経験しました。相変わらず、本もたくさん読んでいました。特に、村上春樹さん(自称ハルキスト)、渡辺淳一さんは大好きで、サイン会に行ったり、ファンレターを書いたりしていました。


そして大学卒業後、都内の塾に就職し、塾長の太田と同じ教室で小中学生の国語・英語を担当してきました。一緒に勉強し合格を喜びあった教え子には、一般の都立・県立高校に合格した子から、慶應志木・慶應女子・早稲田高等学院・立教新座・豊島岡女子・青山学院・城北といった私立高校に合格した子まで、色々な子がいます。しかし、合格発表当日、合格の報告に来てくれる子どもたちは、誰も皆本当に良い笑顔をしています。その笑顔が私は大好きで、何よりの喜びです。今年もたくさんの素敵な笑顔が見られるよう、皆の第一志望校合格を応援していきます。
塾教師の仕事をする中で強く感じるのは、子どもたちの大きな可能性です。塾に入って1年、あるいはわずか半年で、我々教師が予想していた以上の伸びを見せてくれる生徒がたくさんいました。ですから、今の自分が「行ける学校」ではなく、自分が本当に「行きたい」学校を目指して、一緒に勉強しましょう!

授業以外での子供たちとの関わりも大切にしてきました。多くは愚痴聞き役か相談役ですが、それで全く構いません。気軽に話をしてくれたらと思います。「何でも話して」などと、こちらから踏み込むことは決してしません。話したくないことは、自分の心の中にしまっておいて、話したいことがあれば、話してくれたらいいと思っています。

「頑張れ」ではなく、「頑張ったね」「一緒に頑張ろう」
これが私のモットーです。
塾教師に限らず、日本人誰もがよく使う「頑張れ」「頑張って」を、私は言わないようにしています。もちろん、この励ましの言葉を否定しているわけではありません。子どもたちへの応援の気持ちはよくわかりますし、私も子どもたちを応援している一人です。しかし、一生懸命頑張っている子どもたちに「頑張れ、頑張れ」とさらにプレッシャーをかけるより、まずはその努力を「頑張ったね」と認め褒めてあげることが大切だと考えています。そうすれば、子どもたちはその嬉しさから、自然と次も頑張る気持ちになるのではないでしょうか。また、本人なりには努力していても、すぐには目に見える成果が出ない場合もあります。そんな時は、一方的に本人に「頑張れ」と言うのではなく、「じゃあ次はこうやって一緒に頑張ろうか」と言葉をかけるようにしています。授業のモットーは「楽しくわかる」授業です。大人数の教室で教師が一方的に講義するのではなく、生徒一人一人の反応や生徒とのやり取りを大切にします。話が脱線する先生の授業の方が、かえって記憶に残っているということはありませんか?授業内容に関連した記憶に残る楽しい話を交えながら、これまでわからなかったことが「わかった!」と言ってもらえる授業をします。




 

※只今、「塾人 太田佳代子」のコメントを作成中です。
少々お待ちください。

2024年 みらい学舎のOB・OGがサポートします!
畑中正毅
(8期生)
(明治大学)
数学・理科
吉牟田陸斗
(9期生)
(早稲田大学)
国語
児玉美音里
(10期生)
(学習院大学)
英語
大崎友結
(10期生)
(早稲田大学)
国語
山本菜々美
(10期生)
(埼玉医科大学)
数学
寺子屋期間に担当
(東京理科大学)(立教大学)
(中央大学)など