娘の大学の授業の課題のため、昨年の冬、娘が私にインタビュー。それを一人称スタイルで作文にしたのがこれ。私にとっての子育てヒストリー。覚書しておきたくなってので、娘の投稿からいただき記しておきます。 ちなみに、娘の投稿は、みらい学舎HPの右下の「MI-輔ブログ」から入り、リンク先に移動することでご覧いただけます。 昨年度までみらい学舎の先生をしてくれていました。生徒たちに近い存在であり、講師という立場で思いを綴っています。 よろしければ覗いてみてください(^0^)/ ************ “子育て”ってこういうこと 太田澪 私は3人の子供の母親を17年やっているけど、子供って、同じ父と母から生まれてくるのに、どうしてこんなに違うんだろうって、面白いくらいに違かったなあ。産まれ方、泣き方、好き嫌い、何をとっても。 みんなが小さい頃は必死になって育てていたから、あんまりその瞬間ごとに違いに気づく暇がなかったの。でも、落ち着いてあとになって考えたとき、3人とも個々で違ったなって気づいたの。だからこそ今も3人とも違うし、それが個性なんだなあって思うよ。 それからね、子育てって楽しいことばかりじゃなかったよ。でも、自分が苦しいときとか、子供のことに関して悩んだとき、誰かに相談することですごく救われたことがあったの。私は昔から「子育てはひとりでしちゃいかん!」って自分に対しても、周りに対しても言い続けてきたからね。たとえば澪に、「母親らしいことなんて全然しないくせに!」って言われたときだって、ひとりでそれを抱えていたら、しんどくてしんどくて仕方なかったと思う。でも、それを聞いてくれる人が周りにいたことで、救われたの。 たとえばそれは自分の母親であったり、姑であったり、同じ境遇、つまりは母という立場にいた人たちかな。一番響いたのは姑の「全部愛情の裏返しだから。」だったね。そのときは、「えー、嘘だよ。信じたいけど信じられないよ。」なんて思ったけど、人生の先輩から言われた言葉だから、まずはそれを信じ続けようと決めて、子供たちからつらい言葉を言われたときはいつも「裏返し、裏返し。」と呪文のように心の中で唱えていたなあ。 今となってはこうして子供とも話せるようになって、「あの時はごめん。」といってもらえて、当時の気持ちを聞くことができて、そこでやっと「ああ、姑の言葉は間違っていなかったんだ。」と思えたよ。 “子育て”に関して言及するとね、「食う寝る遊び」は子供にとって大事なもので、それをしてあげるのが親の役割だと私は考えてるよ。でも、“育てている”のかといわれるとそうではなくて、むしろ“育てられている”ことのほうが多いかな。 私はね、昔から「私が子供たちを育ててあげている」という感覚はないの。一方的に私がなにかを与えているっていうよりも、子供たちとキャッチボールをしていく中で、私は子供の反応に何か気づきをもらってる。だから、“子育て”なんだけど、子供は自分でちゃんと育ってる。その育ってる姿を見せてもらって、いろいろ気づいて、私も育てさせてもらってるっていう、そういう関係。 要するにね、一般に“子育て”と言われているけれど、その裏には“子育ち”だったり、“親育ち”が隠れていると思うの。 子育てに年齢は関係ないというのも感じるよ。私はもう46歳だけど、母は私を心配してくれるし、これが親子なんだなあ、というのを日々教えてもらってる。教え教えられを何代にもわたって繰り返しているのを感じるね。 極論すれば、私にとって子育てとは、教え、教えられ、それから信じ続けるっていうものかな。 2015/11/16 母(46歳)
top of page
bottom of page
Comments