おや?親のとびら

久々に児童館へ

2016.2.3 [GAOのつぶやき,おや?親のトビラ,乳幼児期,児童館の思い出14年史]

古巣(元職場)に久々に行ってきました。
大好きな二人が乳幼児親子さん向けにコンサートを開くというので。

退職して1年半。その間にた~くさんの新たな赤ちゃんが誕生しているので
行っても知らない人ばっかりかな~、とドキドキしながら行きました。

行ってみたら・・・・

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まだまだ知っている親子さんがいました!
児童館っ子が、母や伯母となって、遊びに来ていました!
「太田さ~ん、結婚4年目にして、結婚式をあげたんだよ~(^^♪」と、
すでに3児の母となったママが、嬉しそうにスマホに保存してあった写真を見せてくれました。
子どもの頃も、そして今もいろいろ苦労の多い子も、
児童館のボランティアを相変わらずしながら、
昔と変わりない笑顔で、これまでの報告話をしてくれました。
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児童館を退職する直前の頃、児童館にご家族で来館したお母さんとも再会。
当時は二人目出産後間もない時期で、子ども二人を抱えてふんばっていたんです。
その様子を私は感じて、しばらくおしゃべりしました。
今日お会いして、当時のことを「あの頃は産後うつみたいになっていてしんどかった~。そんなときにお話し聴いてくれて、本当にありがとうございました!」って、声をかけてくれました。
なんだか、こちらこそ、ありがとうです。
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当時1歳半くらいの子どもたちが、3歳前後になっていて、
おしゃべりもけんかもイヤイヤも!
上手になっていました。
お母さん、その分大変そうだったな~
「私もそうだったけど、こうやって、ちゃ~んと、子どもたちが母を育ててくれてるんだよね~」
「母ちゃんよ、その調子!一緒に泣き笑いしてすごしてくだされ!」
そんなエールを送りました。
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久々に古巣に戻り、懐かしい方たちと語らい、
大好きな二人のコンサートを聴き、
過去の出会いが、、、退職したことでとぎれてしまったかな?と
ちょっと寂しい思いもあったのですが、
実はみんなの中に、過去の私を残してくれていて。
本当に、ありがとうでした。
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最後に、これまた児童館時代につながったお母さんが
運営している、おむすび屋さんに立ち寄りました。
そこでもまた、娘さんがまだ赤ちゃんで、しかも泣いてばかり、
ママにひっついてばかりだったお子ちゃまが、
今や中学1年生になっていました。
お母さんが私に話してくれました。
「あの時太田さんが、『大丈夫』と言ってくれたこと。救われました。その後本当に離れていきましたよ。」
今日は、これまでに出会った方々から、たくさんのエールをもらえて幸せでした。

今は塾の中にいることがほとんどの生活ですが、
塾の子どもたちとの時間がとても貴重で、大切な時間です。

これまでのつながりを、なんらかの形で、
続けて、つなげていきたいな。
素朴にそう思いました。
みなさんへ。気が向いたら「親のトビラ」をノックしてみてくださいね。
楽しみに待っています。

いのちの教室

2014.5.13 [児童館の思い出14年史]

児童館職員としての14年間。足跡を綴ります。

子どもに関わる方、親御さんに、子どもとの関わりのヒントや児童館のような場所(学校でも家でもないナナメの関係ができる場所)の存在意義を知っていただけたら嬉しいです。

これから私が関わっていく『進学塾 みらい学舎』も・・・

もしかしたら“ナナメの関係”が作れる場所かもしれない。

教育と福祉、混ざりそうもないこの関係を、新たな視点をもってチャレンジしていきたいと思います。(太田佳代子)

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【児童館の思い出12:いのちの教室】

 

かみひことの思い出に、欠かすことのできない事業であり、この事業の講師である小宮智栄子さんとのことについて書きたいと思います。

小宮さんは新座市の小学校の養護教諭(保健室の先生)でした。

小宮さんは、勤務する学校の授業参観を活用して、担任の先生を巻き込みながら、
全ての学年、全てのクラスに、「命の教育」という性教育をされていました。

私は、市内のある講座で、小宮さんの事を知りました。

 

「小宮さんの授業を、朝霞の親子にも見せたい!」という思いで児童館に企画提案をしました。

初年度は、あさかいくじネットワークとの共催事業という形で行いました。

本来ならば、学校の担任の先生が担う部分を、私が担当しました。

寸劇!!をしました^^

小宮さんが伝える“いのちの話”は、寸劇を交えた、楽しく愉快で、笑いあり涙ありの

親にも子どもにもダイレクトに届き感動するものでした。

館長はじめ、他の職員にも、その感動は響きました。

それから9年ほど、「いのちの教室」は夏休みの大切な大事業として続けられたのです。

 

2年目以降は、正式に児童館事業として開催され、様々な職員が寸劇に様々な役柄で登場しました。

その後、転機がきました。

 

「こみやん(小宮さん)と若者から、子ども達に伝える“いのちの教室”」構想です。

ちょっと年上の兄貴分、姉貴分にあたる大学生が、寸劇やメッセージを通して子ども達に

「命の話」を伝えていけたら、もっと届けられるものがあるのではないか?という小宮さんからの発案からです。

 

幸いにして、児童館とつながっていたかみひこの学生たちが協力してくれました。

そして、、、

いのちの教室に参加して、その学生たちの意識が一番変わったのです。

 

かみひこの中でも、「いのちの教室」のボランティアは、先輩から後輩たちへ“一押しの活動”として語り継がれていきました。

私は事業継続に奮闘していた裏方でしたが、本当にやりがいのあるものでした。

今、この「いのちの教室」は小宮さんの手で、全国に広がろうとしています。応援しています!

 

自称かみひこ応援団

2014.5.12 [児童館の思い出14年史]

児童館職員としての14年間。足跡を綴ります。

子どもに関わる方、親御さんに、子どもとの関わりのヒントや児童館のような場所(学校でも家でもないナナメの関係ができる場所)の存在意義を知っていただけたら嬉しいです。

これから私が関わっていく『進学塾 みらい学舎』も・・・

もしかしたら“ナナメの関係”が作れる場所かもしれない。

教育と福祉、混ざりそうもないこの関係を、新たな視点をもってチャレンジしていきたいと思います。(太田佳代子)

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【児童館の思い出11:自称かみひこ応援団】

 

児童館は大学生のボランティアサークルとのつながりがあります。
児童館のおまつりなどの大事業スタッフとして関わってくれたり、人形劇や工作などの事業を担当してくれたり、その中から夏休みのバイトをしてくれる学生もいました。

 

子どもたちにとっても、そんな若い学生の存在は大きかったですね。

私たち職員が関われないやんちゃな遊び、ダイナミックな遊び、また話し相手など、きっと子ども達の心の中に、「懐かしい思い出」として、そんな学生さんたちが残っていると思います。

 

その中の一つに「かみひこうき(“かみひこ”と呼んでいました)」という東洋大の福祉系サークルがありました。

伝統のあるサークルで、朝霞社協職員にもかみひこOBがいます。私は現在、NPO法人あさかプレーパークの会に所属していますが、この会にもかみひこが関わってくれたこともありました。
現在朝霞でのプレーパークのプレーリーダーをしている関戸くん(どっくん)も、かみひこ出身で当時は代表もしていました。私と関戸くんとの関わりは、まさに児童館から始まったのです。^^

 

当時から私が大事にしていたこと。

それは、単なる児童館職員と学生ボランティアという役割での関係でなく、
“人と人という、もっとシンプルな関係”で接することでした。
“かみひこさん”ではなく、“かみひこの○○さん”という感じで、一人ひとりのことに関心をもち、心を開いて接していました。みんな一人ひとり、わたしよりずーっと若いのですが(笑)すてきな個性をもっていました。
いろんな話をしたり、一緒に事業を創っていったりする中で、本当に様々なことを私におしえてくれました。

 

一時期、かみひこ消滅の危機がありました。

「なんとか繋がっていってほしい」そんな思いから、話し合いに参加したこともありました。(懐かしい!)
おかげで今もなお、「かみひこうき」は存続しています。・・・ちょっと今第二の危機が来ていますが…。

 

児童館という場所でこんな若者と出会えたことに心から感謝しています。
そして、児童館にはいなくなりますが、これまで出会った皆さんの自称応援団であり続けたいな…と思っています。

0ママクラブ③OG会とOGサポーター

[児童館の思い出14年史]

児童館職員としての14年間。足跡を綴ります。

子どもに関わる方、親御さんに、子どもとの関わりのヒントや児童館のような場所(学校でも家でもないナナメの関係ができる場所)の存在意義を知っていただけたら嬉しいです。

これから私が関わっていく『進学塾 みらい学舎』も・・・

もしかしたら“ナナメの関係”が作れる場所かもしれない。

教育と福祉、混ざりそうもないこの関係を、新たな視点をもってチャレンジしていきたいと思います。(太田佳代子)

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【児童館の思い出10:0ママクラブ③OG会とOGサポーター】

 

0ママクラブでもう一つ大事にしていたこと。
それは、「受け身のままでは終わらせない」。

 

0ママクラブとうい事業を企画し運営したのは児童館。
進行も、職員や0ママサポーター。
参加する0ママはこのままでは受け身のまま。
もちろん、参加していく中で、誰かに話をしたり話しかけたりという関わりには受け身でない、それぞれの積極性と自己選択がありますが。

 

そこで出来た仕掛けが、0ママOG会。
0ママクラブがいったん終わった後、しばらくの間、場所だけは児童館で提供した上で、0ママの参加者同士がその場のことは自由にできる場をつくったのです。

 

初めの数年間は今一つ生かされなかったのですが、3年目か4年目くらいからでしょうか、0ママの参加者が0ママOG会の場を自分たちでつなげ、その後もサークルを作ったり、児童館で定期的に集合したりして、縁あって出会った0ママのつながりを継続していくようになりました。

 

嬉しいことに、今でも0ママ出身のママたちから

「あの時のみんなとは、互いに仕事に復活したり引っ越したりしたものの、まだ交流が続いているんですよ。」

なんていう報告を聞けたりします。

また、0ママクラブ自体はママが主役の場でしたが、その後は子ども達同士も認識をしあい、いつのまにか“幼馴染”的な関係になって子ども同士も繋がっていくことになったのです。

 

また、0ママサポーターにも変化が起きました。

0ママクラブ参加者の中から、サポーターに転身してくれるようになったのです。

1歳児の子を抱えながら、引き続き0ママクラブサポーターとして、場を一緒につくってくれる仲間となり、関わってくれました。

こんな方々とは今でも個人的にも繋がりを持てています。

 

子どもを育てるとなると、「受け身」ではやっていけない事態が起こります。

子どもの変わりに選択をしなくてはならないこともあります。誰かと自分からつながる意識が、結果的に自分を、子どもを楽にします。
それを伝えたくて、0ママクラブには「受け身にさせない仕掛け」をつくったのでした。

仕掛けに乗ってくれてありがとう!みなさん♪

 

0ママクラブ②ママが主役、縦の交流

[児童館の思い出14年史]

児童館職員としての14年間。足跡を綴ります。

子どもに関わる方、親御さんに、子どもとの関わりのヒントや児童館のような場所(学校でも家でもないナナメの関係ができる場所)の存在意義を知っていただけたら嬉しいです。

これから私が関わっていく『進学塾 みらい学舎』も・・・

もしかしたら“ナナメの関係”が作れる場所かもしれない。

教育と福祉、混ざりそうもないこの関係を、新たな視点をもってチャレンジしていきたいと思います。(太田佳代子)

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【児童館の思い出9:0ママクラブ②ママが主役、縦の交流】

 

0ママクラブには、当然ですが、0ママと0歳のベビーちゃんが参加します。でも、主役はママさんです。

 

ママさんがこの場所にやってきて、サポーターさんや職員の進行のもと、グループトークを楽しんだり、ベビーとふれあい遊びをしたりして過ごします。

毎回同じメンバーが集まるので、2回目が終わると距離は一気に縮まり、全部の回が終了する頃には、互いに声をかけあってどこかに出かけたり、会ったりすることもできるようになるのです。

 

0ママの間、もし赤ちゃんんがぐずったりしたら、職員やサポーターがママの変わりに赤ちゃんを抱っこしてあやします。

グループトークの輪の中には、時にはサポーターも混じり、ちょっと先行く先輩ママのトークをしてくれることもあります。

 

参加者の方の感想には「職員さんやサポーターさんがとてもフレンドリーに話しかけてくれたので、ホッとしました。」

「子どもが泣いていても、みんなの目が温かくて、声をかけてくれたりあやしてもらえたのが、とても嬉しかったです。」

「0ママクラブに行く日は、準備は大変だけれど、お化粧してオシャレして~という気持ちになれていつも楽しみでした。」

などのコメントがいつもあります。

14年たった今も変わりません。

 

また、0ママクラブ開催中は同じお部屋の中にサポーターさんの子ども達もいます。
一角に2,3歳児の子どもたちが遊べるキッズスペースをつくり、
サポーターさんや職員の中で、クラブを進行する人と子どもたちの遊び相手になる人を役割分担するのです。

もちろん、子の中にはママじゃなきゃだめ~という子もいます。
そんな子の気持ちにも寄り添い、現場では“わが子を含めた他の子たちの見守り役”として活動するサポーターの役割もでてきました。

 

サポーターさんの、子ども達への関わりを間近で見ることも、0ママさんにとってはためになるんですよね♪
最初は0ママさんの中には「こんな大きな子が近くにいて、うちの子踏まれたりしないかしら?」と不安になっていた方もいたことでしょう。
けれど、回が進むうちにだんだん異年齢の子どもがいる空間になれてきて、むしろ、我が子がそんな子ども達の所にはいはいで寄っていく姿を見て、「素敵な場所」と思いなおすこともあったと思います^^

 

「0ママクラブ」は断絶しがちな縦のつながり(親も子も!)を少しだけれどつなげる役にもなっているのかもしれません。

 

 

0ママクラブ①0ママサポーター

2014.5.10 [児童館の思い出14年史]

児童館職員としての14年間。足跡を綴ります。

子どもに関わる方、親御さんに、子どもとの関わりのヒントや児童館のような場所(学校でも家でもないナナメの関係ができる場所)の存在意義を知っていただけたら嬉しいです。

これから私が関わっていく『進学塾 みらい学舎』も・・・

もしかしたら“ナナメの関係”が作れる場所かもしれない。

教育と福祉、混ざりそうもないこの関係を、新たな視点をもってチャレンジしていきたいと思います。(太田佳代子)

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【児童館の思い出8:0ママクラブ①0ママサポーター】

たぶん、「0ママクラブ」事業については1回では書ききれないので、あらかじめナンバリングしておきます^^

「0ママクラブ」は2001年5月からスタートした、年に2回の0ママのための会員制のクラブ事業です。

『児童館の思い出7』で書いた「ベビーランド」でなかなか救えない、単独でやってきた、まだ知り合いが少ない、引っ越してきたばかりで地域のことを知らない0ママが、最初の一歩をもっと安心して踏み出していけるようにはどうしたらいいか?を考えた時に、生まれた事業です。

また新たなチャレンジもしました。児童館事業を児童館職員だけで企画運営するのではなく、もっと地域の人に協力してもらって、

当事者性を大事にしていけるような仕掛けをしたい!とも考えたのです。

 

そこで考えたのが「0ママサポーター」さんの募集です。

児童館にポスターを掲示しました。

当初私が予想していた協力者は、わが子を幼稚園や小学校に送りだし、平日の午前中にボランティア活動ができる母でした。

しかしこの予想は見事にはずれました。
0ママサポーターに協力したいと手をあげてくれた人のほとんどが、ご自身も未就園の幼児を抱えるお母さんだったのです。

「わが子はまだ2,3歳。けれど、かつての自分(0ママの自分)の思いがあるので、今の0ママさんにできることがあるなばら、ぜひやってみたい。」

皆さんが口を揃えて言っておりました。

 

企画を出し、募集をかけたのが2000年12月。

集まったサポーターさんと共にどんな「0ママクラブ」にしていこうかと話し合ったのが年明けからでした。

はじめまして同士のサポーターさんもいます。
子連れ会議をしながら、「まだ見ない0ママ親子さんが、ホッとできる場をもてるようにするためにはどんな事をしたらいいか?」を出し合いました。みんな一生懸命でしたし、思いのある方々でした!

 

最初につくったタイムテーブルや場作りの思いは、なんと13年目に突入し、25期を迎えた今でも大きく変わることなくやっています。

それぐらい、当事者の声から生まれたものの力がある、ということかもしれません。

 

0,1歳児親子向け事業を~!

2014.5.9 [児童館の思い出14年史]

児童館職員としての14年間。足跡を綴ります。

子どもに関わる方、親御さんに、子どもとの関わりのヒントや児童館のような場所(学校でも家でもないナナメの関係ができる場所)の存在意義を知っていただけたら嬉しいです。

これから私が関わっていく『進学塾 みらい学舎』も・・・

もしかしたら“ナナメの関係”が作れる場所かもしれない。

教育と福祉、混ざりそうもないこの関係を、新たな視点をもってチャレンジしていきたいと思います。(太田佳代子)

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【児童館の思い出7:0,1歳児親子向け事業を~!】

 

児童館事業として初めからあったのは「ちびっこランド」という事業でした。0歳児から未就学児親子対象の事業としてはいたけれど、実際0歳児親子には参加しづらいものでした。

 

子育てネットワークの活動を通して、「0,1歳児のなるべく早い段階から、気楽に出かけられ、人とふれあえる場所が必要。それが、虐待防止や孤育てを防ぐ一歩になる。」と考えていました。

館長に「ベビーランド」という事業を企画として出しました。

2000年9月。第1回目のベビーランドを開催した所、当日受付で集まったのがなんと、60組を超える数。

イモ洗い状態でした。

ただ、この事業の必要性は実証され、その後、0歳児と1歳児を分け、さらには0歳児を2コースに分け、「ねんねコース」「はいはいコース」「よちよちコース」として、2日間で約100組に対応できるようにしていきました。

 

現在は5つの児童館でそれぞれに、0歳児向け、1歳児向けと、趣向を凝らした事業を当たり前のように実施していますが、最初の一歩がこの「ベビーランド」だったのです。

当時のベビー達は、今や中学生!同じ地域にずっといますから、お母さんを通じて、子どもたちともつながりをもてています。子ども自身とも、なんだかんだと、小学生中学年くらいまでは一緒にあそんだりできた子もいました。

 

先日、児童館をやめることを、児童館をよく利用してくださった、ある一人のお母さんにメールで伝えました。

返信には「お疲れさまでした!14年間…本当に我が家は、はまさき児童館で長い時間を過ごさせていただきました。一緒に成長させていただいたといっても過言ではありません。MもRも太田さんには大変お世話になりました。すっかり大きくなりましたが(もう中高生!)遊んでいた頃がつい先日のような感じにもなります。・・・」と、私も過去の懐かしい場面をいろいろと思い出させてもらいました。

 

児童館は0歳から18歳の子どもたちが自由に利用できる場所。

乳幼児さんに関しては、親御さんにとっても居場所となるところ。

0,1歳児向けに絞った事業を取り入れたことで、本当に長年にわたって活用してもらえる児童館になったのかな・・・。感慨深いです。

 

子育てネットワーク

[児童館の思い出14年史]

児童館職員としての14年間。足跡を綴ります。

子どもに関わる方、親御さんに、子どもとの関わりのヒントや児童館のような場所(学校でも家でもないナナメの関係ができる場所)の存在意義を知っていただけたら嬉しいです。

これから私が関わっていく『進学塾 みらい学舎』も・・・

もしかしたら“ナナメの関係”が作れる場所かもしれない。

教育と福祉、混ざりそうもないこの関係を、新たな視点をもってチャレンジしていきたいと思います。(太田佳代子)

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【児童館の思い出6:子育てネットワーク】

 

児童館に和光の方から視察の依頼がきました。

依頼先は「わこう子育てネットワーク」さん。

今ではNPO法人として、和光市内はもちろん、様々な地域で子育て支援のネットワークに関与している団体です。

 

代表の森田圭子さんが、はまさき児童館にいらっしゃいました。

受付で立ち話をしただけなのですが、「子育てネットワーク」の活動に直感的に興味をもった私は、

森田さんの「新座も子育てネットワークがあるのよ。こんど集まりがあるので来てみませんか?」という言葉で本当に出かけて行ってしまいました。

 

子育て中の当事者であるお母さんたちが、小さな子どもたちを抱えながら、

自分たちの子育て環境をより良くするため、

孤立しがちな親子を地域で支えるため、

虐待防止の視点ももって、ワイワイと前向きに行動している母たちに出会いました。

すごいな~素敵だな、と思ったし、「この活動は必要な事」と感じました。

 

その後、いろいろなご縁があって、

なんと、朝霞にも子育てネットワークが誕生したのです。

その名も「あさかいくじネットワーク」 。

『あいねっと』という呼び名で、地域で出会った母たちと、活動を始めました。

 

私は児童館職員をしながらの活動でした。

何事もそうですが、ピンときて走り始めたらイノシシな私。

忙しくも楽しい日々でした。(家族を振り回していた事は、後になって気づきました^^;)

また、いろんな子育てに関わる問題や課題もわかってきました。

それを児童館事業にも反映させたい・・・と思うまでには時間はかかりませんでした。

それでも彼らはやって来る

2014.5.8 [児童館の思い出14年史]

児童館職員としての14年間。足跡を綴ります。

子どもに関わる方、親御さんに、子どもとの関わりのヒントや児童館のような場所(学校でも家でもないナナメの関係ができる場所)の存在意義を知っていただけたら嬉しいです。

これから私が関わっていく『進学塾 みらい学舎』も・・・

もしかしたら“ナナメの関係”が作れる場所かもしれない。

教育と福祉、混ざりそうもないこの関係を、新たな視点をもってチャレンジしていきたいと思います。(太田佳代子)

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【児童館の思い出5:それでも彼らはやって来る】

 

児童館1年目、私31歳。

来館者の多くが乳幼児親子さんと小学生で、少数だけど中高生も来ていました。

アリーナという体育館が使えたので、中高生でも楽しめるところがあったのです。

 

私もまだ若かったから、子ども達と一緒によくバスケをしました。
やんちゃな中高生とも^^

一緒に遊んでいると、いろんな意味で情が移るというのかな、

よく羽目を外し、よく切れだし、怒り出すと体も大きいし力も強いので

ヒヤヒヤさせてくれましたが、見放すことはできませんでした。

 

どんなことがあっても、

次に来たときはいつも通りに「お!来たね~こんにちは!^^」とお出迎え。
まずはあいさつしながら、その子の表情からいろんなことを読み取ります。
「あ~、今日はなんかむしゃくしゃしてる感じだな~」
「お、今日はなんかいろいろ話したいみたいだね♪」
などなど、聞かずとも感じるその子の様子で、私も周波数を合わせていきます。

 

けれど、いくら調子良い感じで来館しても

子どものココロはちょっとしたことで変わります。

あの日も・・・何かがきっかけで切れだし暴れ出しました。体を張って彼らを落ち着かせました。

泣いて語りかけました。がむしゃらに…私の気持ちをぶつけていました。へとへとになるまで。

 

でも彼らは、そんなことがあってもまた児童館にやって来るのです。

 

今思えば、児童館に来てくれているうちはまだ良かったな~と。

高校生世代後半に児童館に来ることはなく、風の便りでカラーギャングに入ったことを知りました。

 

当時は私、目先の子ども達の行動に注目してしまい、

背後の子ども達の様々な生きづらさを感じる余裕がなかったな…。

今にしてそれを思います。あの時はそれが私の精いっぱいだったのは確か。

児童館1年目の、ほろ苦い経験でした。

 

時は過ぎ、彼らが24,5歳になった頃でしょうか? ばったりスーパーで、その中の一人と会いました。

「俺はもう足を洗って仕事をがんばってるよ。太田さん、懐かしいな~。」って、

バスケして笑いあっていた時の笑顔と同じ表情を見て、私の心が喜んだのは言うまでもありません。

全力投球!…な児童館事業

[児童館の思い出14年史]

児童館職員としての14年間。足跡を綴ります。

子どもに関わる方、親御さんに、子どもとの関わりのヒントや児童館のような場所(学校でも家でもないナナメの関係ができる場所)の存在意義を知っていただけたら嬉しいです。

これから私が関わっていく『進学塾 みらい学舎』も・・・

もしかしたら“ナナメの関係”が作れる場所かもしれない。

教育と福祉、混ざりそうもないこの関係を、新たな視点をもってチャレンジしていきたいと思います。(太田佳代子)

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【児童館の思い出4:全力投球!…な児童館事業】

 

み~んな初心者、児童館職員^^;

「児童館事業」を企画して運営するなんて!!!そりゃあ、緊張とプレッシャーと、不安ばかり。

どうなるのかなんて、誰もわからない。

 

とにかく、入念に準備あるのみ!月一回で行われる「ちびっこランド」という未就学親子対象の事業では、

はじめの踊りを毎朝練習!「うさぎさんの体操は~ぴょ~んぴょ~ん、ぴょぴょんぴょ~ん♪」

リハーサルも、入念なく。

当日も3~4人態勢で事業に入りました。(現在は2名)

 

当時の振り返りノートを、私は大事に保管しているのですが、

本当に一つ一つの事業に、それぞれが感想を書きあい、

次の事業にむけて一生懸命やっていた事がわかります。

 

今年度児童館職員になったお二人は、はいってすぐに、本番!

きっと想像を絶する緊張感なのではないかな?

改めて、初めての方に対する配慮と理解を・・・私こそ一番、感じなくてはな~と思います。