おや?親のとびら

0ママクラブ③OG会とOGサポーター

2014.5.12 [児童館の思い出14年史]

児童館職員としての14年間。足跡を綴ります。

子どもに関わる方、親御さんに、子どもとの関わりのヒントや児童館のような場所(学校でも家でもないナナメの関係ができる場所)の存在意義を知っていただけたら嬉しいです。

これから私が関わっていく『進学塾 みらい学舎』も・・・

もしかしたら“ナナメの関係”が作れる場所かもしれない。

教育と福祉、混ざりそうもないこの関係を、新たな視点をもってチャレンジしていきたいと思います。(太田佳代子)

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【児童館の思い出10:0ママクラブ③OG会とOGサポーター】

 

0ママクラブでもう一つ大事にしていたこと。
それは、「受け身のままでは終わらせない」。

 

0ママクラブとうい事業を企画し運営したのは児童館。
進行も、職員や0ママサポーター。
参加する0ママはこのままでは受け身のまま。
もちろん、参加していく中で、誰かに話をしたり話しかけたりという関わりには受け身でない、それぞれの積極性と自己選択がありますが。

 

そこで出来た仕掛けが、0ママOG会。
0ママクラブがいったん終わった後、しばらくの間、場所だけは児童館で提供した上で、0ママの参加者同士がその場のことは自由にできる場をつくったのです。

 

初めの数年間は今一つ生かされなかったのですが、3年目か4年目くらいからでしょうか、0ママの参加者が0ママOG会の場を自分たちでつなげ、その後もサークルを作ったり、児童館で定期的に集合したりして、縁あって出会った0ママのつながりを継続していくようになりました。

 

嬉しいことに、今でも0ママ出身のママたちから

「あの時のみんなとは、互いに仕事に復活したり引っ越したりしたものの、まだ交流が続いているんですよ。」

なんていう報告を聞けたりします。

また、0ママクラブ自体はママが主役の場でしたが、その後は子ども達同士も認識をしあい、いつのまにか“幼馴染”的な関係になって子ども同士も繋がっていくことになったのです。

 

また、0ママサポーターにも変化が起きました。

0ママクラブ参加者の中から、サポーターに転身してくれるようになったのです。

1歳児の子を抱えながら、引き続き0ママクラブサポーターとして、場を一緒につくってくれる仲間となり、関わってくれました。

こんな方々とは今でも個人的にも繋がりを持てています。

 

子どもを育てるとなると、「受け身」ではやっていけない事態が起こります。

子どもの変わりに選択をしなくてはならないこともあります。誰かと自分からつながる意識が、結果的に自分を、子どもを楽にします。
それを伝えたくて、0ママクラブには「受け身にさせない仕掛け」をつくったのでした。

仕掛けに乗ってくれてありがとう!みなさん♪

 

0ママクラブ②ママが主役、縦の交流

[児童館の思い出14年史]

児童館職員としての14年間。足跡を綴ります。

子どもに関わる方、親御さんに、子どもとの関わりのヒントや児童館のような場所(学校でも家でもないナナメの関係ができる場所)の存在意義を知っていただけたら嬉しいです。

これから私が関わっていく『進学塾 みらい学舎』も・・・

もしかしたら“ナナメの関係”が作れる場所かもしれない。

教育と福祉、混ざりそうもないこの関係を、新たな視点をもってチャレンジしていきたいと思います。(太田佳代子)

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【児童館の思い出9:0ママクラブ②ママが主役、縦の交流】

 

0ママクラブには、当然ですが、0ママと0歳のベビーちゃんが参加します。でも、主役はママさんです。

 

ママさんがこの場所にやってきて、サポーターさんや職員の進行のもと、グループトークを楽しんだり、ベビーとふれあい遊びをしたりして過ごします。

毎回同じメンバーが集まるので、2回目が終わると距離は一気に縮まり、全部の回が終了する頃には、互いに声をかけあってどこかに出かけたり、会ったりすることもできるようになるのです。

 

0ママの間、もし赤ちゃんんがぐずったりしたら、職員やサポーターがママの変わりに赤ちゃんを抱っこしてあやします。

グループトークの輪の中には、時にはサポーターも混じり、ちょっと先行く先輩ママのトークをしてくれることもあります。

 

参加者の方の感想には「職員さんやサポーターさんがとてもフレンドリーに話しかけてくれたので、ホッとしました。」

「子どもが泣いていても、みんなの目が温かくて、声をかけてくれたりあやしてもらえたのが、とても嬉しかったです。」

「0ママクラブに行く日は、準備は大変だけれど、お化粧してオシャレして~という気持ちになれていつも楽しみでした。」

などのコメントがいつもあります。

14年たった今も変わりません。

 

また、0ママクラブ開催中は同じお部屋の中にサポーターさんの子ども達もいます。
一角に2,3歳児の子どもたちが遊べるキッズスペースをつくり、
サポーターさんや職員の中で、クラブを進行する人と子どもたちの遊び相手になる人を役割分担するのです。

もちろん、子の中にはママじゃなきゃだめ~という子もいます。
そんな子の気持ちにも寄り添い、現場では“わが子を含めた他の子たちの見守り役”として活動するサポーターの役割もでてきました。

 

サポーターさんの、子ども達への関わりを間近で見ることも、0ママさんにとってはためになるんですよね♪
最初は0ママさんの中には「こんな大きな子が近くにいて、うちの子踏まれたりしないかしら?」と不安になっていた方もいたことでしょう。
けれど、回が進むうちにだんだん異年齢の子どもがいる空間になれてきて、むしろ、我が子がそんな子ども達の所にはいはいで寄っていく姿を見て、「素敵な場所」と思いなおすこともあったと思います^^

 

「0ママクラブ」は断絶しがちな縦のつながり(親も子も!)を少しだけれどつなげる役にもなっているのかもしれません。

 

 

0ママクラブ①0ママサポーター

2014.5.10 [児童館の思い出14年史]

児童館職員としての14年間。足跡を綴ります。

子どもに関わる方、親御さんに、子どもとの関わりのヒントや児童館のような場所(学校でも家でもないナナメの関係ができる場所)の存在意義を知っていただけたら嬉しいです。

これから私が関わっていく『進学塾 みらい学舎』も・・・

もしかしたら“ナナメの関係”が作れる場所かもしれない。

教育と福祉、混ざりそうもないこの関係を、新たな視点をもってチャレンジしていきたいと思います。(太田佳代子)

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【児童館の思い出8:0ママクラブ①0ママサポーター】

たぶん、「0ママクラブ」事業については1回では書ききれないので、あらかじめナンバリングしておきます^^

「0ママクラブ」は2001年5月からスタートした、年に2回の0ママのための会員制のクラブ事業です。

『児童館の思い出7』で書いた「ベビーランド」でなかなか救えない、単独でやってきた、まだ知り合いが少ない、引っ越してきたばかりで地域のことを知らない0ママが、最初の一歩をもっと安心して踏み出していけるようにはどうしたらいいか?を考えた時に、生まれた事業です。

また新たなチャレンジもしました。児童館事業を児童館職員だけで企画運営するのではなく、もっと地域の人に協力してもらって、

当事者性を大事にしていけるような仕掛けをしたい!とも考えたのです。

 

そこで考えたのが「0ママサポーター」さんの募集です。

児童館にポスターを掲示しました。

当初私が予想していた協力者は、わが子を幼稚園や小学校に送りだし、平日の午前中にボランティア活動ができる母でした。

しかしこの予想は見事にはずれました。
0ママサポーターに協力したいと手をあげてくれた人のほとんどが、ご自身も未就園の幼児を抱えるお母さんだったのです。

「わが子はまだ2,3歳。けれど、かつての自分(0ママの自分)の思いがあるので、今の0ママさんにできることがあるなばら、ぜひやってみたい。」

皆さんが口を揃えて言っておりました。

 

企画を出し、募集をかけたのが2000年12月。

集まったサポーターさんと共にどんな「0ママクラブ」にしていこうかと話し合ったのが年明けからでした。

はじめまして同士のサポーターさんもいます。
子連れ会議をしながら、「まだ見ない0ママ親子さんが、ホッとできる場をもてるようにするためにはどんな事をしたらいいか?」を出し合いました。みんな一生懸命でしたし、思いのある方々でした!

 

最初につくったタイムテーブルや場作りの思いは、なんと13年目に突入し、25期を迎えた今でも大きく変わることなくやっています。

それぐらい、当事者の声から生まれたものの力がある、ということかもしれません。

 

0,1歳児親子向け事業を~!

2014.5.9 [児童館の思い出14年史]

児童館職員としての14年間。足跡を綴ります。

子どもに関わる方、親御さんに、子どもとの関わりのヒントや児童館のような場所(学校でも家でもないナナメの関係ができる場所)の存在意義を知っていただけたら嬉しいです。

これから私が関わっていく『進学塾 みらい学舎』も・・・

もしかしたら“ナナメの関係”が作れる場所かもしれない。

教育と福祉、混ざりそうもないこの関係を、新たな視点をもってチャレンジしていきたいと思います。(太田佳代子)

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【児童館の思い出7:0,1歳児親子向け事業を~!】

 

児童館事業として初めからあったのは「ちびっこランド」という事業でした。0歳児から未就学児親子対象の事業としてはいたけれど、実際0歳児親子には参加しづらいものでした。

 

子育てネットワークの活動を通して、「0,1歳児のなるべく早い段階から、気楽に出かけられ、人とふれあえる場所が必要。それが、虐待防止や孤育てを防ぐ一歩になる。」と考えていました。

館長に「ベビーランド」という事業を企画として出しました。

2000年9月。第1回目のベビーランドを開催した所、当日受付で集まったのがなんと、60組を超える数。

イモ洗い状態でした。

ただ、この事業の必要性は実証され、その後、0歳児と1歳児を分け、さらには0歳児を2コースに分け、「ねんねコース」「はいはいコース」「よちよちコース」として、2日間で約100組に対応できるようにしていきました。

 

現在は5つの児童館でそれぞれに、0歳児向け、1歳児向けと、趣向を凝らした事業を当たり前のように実施していますが、最初の一歩がこの「ベビーランド」だったのです。

当時のベビー達は、今や中学生!同じ地域にずっといますから、お母さんを通じて、子どもたちともつながりをもてています。子ども自身とも、なんだかんだと、小学生中学年くらいまでは一緒にあそんだりできた子もいました。

 

先日、児童館をやめることを、児童館をよく利用してくださった、ある一人のお母さんにメールで伝えました。

返信には「お疲れさまでした!14年間…本当に我が家は、はまさき児童館で長い時間を過ごさせていただきました。一緒に成長させていただいたといっても過言ではありません。MもRも太田さんには大変お世話になりました。すっかり大きくなりましたが(もう中高生!)遊んでいた頃がつい先日のような感じにもなります。・・・」と、私も過去の懐かしい場面をいろいろと思い出させてもらいました。

 

児童館は0歳から18歳の子どもたちが自由に利用できる場所。

乳幼児さんに関しては、親御さんにとっても居場所となるところ。

0,1歳児向けに絞った事業を取り入れたことで、本当に長年にわたって活用してもらえる児童館になったのかな・・・。感慨深いです。

 

子育てネットワーク

[児童館の思い出14年史]

児童館職員としての14年間。足跡を綴ります。

子どもに関わる方、親御さんに、子どもとの関わりのヒントや児童館のような場所(学校でも家でもないナナメの関係ができる場所)の存在意義を知っていただけたら嬉しいです。

これから私が関わっていく『進学塾 みらい学舎』も・・・

もしかしたら“ナナメの関係”が作れる場所かもしれない。

教育と福祉、混ざりそうもないこの関係を、新たな視点をもってチャレンジしていきたいと思います。(太田佳代子)

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【児童館の思い出6:子育てネットワーク】

 

児童館に和光の方から視察の依頼がきました。

依頼先は「わこう子育てネットワーク」さん。

今ではNPO法人として、和光市内はもちろん、様々な地域で子育て支援のネットワークに関与している団体です。

 

代表の森田圭子さんが、はまさき児童館にいらっしゃいました。

受付で立ち話をしただけなのですが、「子育てネットワーク」の活動に直感的に興味をもった私は、

森田さんの「新座も子育てネットワークがあるのよ。こんど集まりがあるので来てみませんか?」という言葉で本当に出かけて行ってしまいました。

 

子育て中の当事者であるお母さんたちが、小さな子どもたちを抱えながら、

自分たちの子育て環境をより良くするため、

孤立しがちな親子を地域で支えるため、

虐待防止の視点ももって、ワイワイと前向きに行動している母たちに出会いました。

すごいな~素敵だな、と思ったし、「この活動は必要な事」と感じました。

 

その後、いろいろなご縁があって、

なんと、朝霞にも子育てネットワークが誕生したのです。

その名も「あさかいくじネットワーク」 。

『あいねっと』という呼び名で、地域で出会った母たちと、活動を始めました。

 

私は児童館職員をしながらの活動でした。

何事もそうですが、ピンときて走り始めたらイノシシな私。

忙しくも楽しい日々でした。(家族を振り回していた事は、後になって気づきました^^;)

また、いろんな子育てに関わる問題や課題もわかってきました。

それを児童館事業にも反映させたい・・・と思うまでには時間はかかりませんでした。

それでも彼らはやって来る

2014.5.8 [児童館の思い出14年史]

児童館職員としての14年間。足跡を綴ります。

子どもに関わる方、親御さんに、子どもとの関わりのヒントや児童館のような場所(学校でも家でもないナナメの関係ができる場所)の存在意義を知っていただけたら嬉しいです。

これから私が関わっていく『進学塾 みらい学舎』も・・・

もしかしたら“ナナメの関係”が作れる場所かもしれない。

教育と福祉、混ざりそうもないこの関係を、新たな視点をもってチャレンジしていきたいと思います。(太田佳代子)

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【児童館の思い出5:それでも彼らはやって来る】

 

児童館1年目、私31歳。

来館者の多くが乳幼児親子さんと小学生で、少数だけど中高生も来ていました。

アリーナという体育館が使えたので、中高生でも楽しめるところがあったのです。

 

私もまだ若かったから、子ども達と一緒によくバスケをしました。
やんちゃな中高生とも^^

一緒に遊んでいると、いろんな意味で情が移るというのかな、

よく羽目を外し、よく切れだし、怒り出すと体も大きいし力も強いので

ヒヤヒヤさせてくれましたが、見放すことはできませんでした。

 

どんなことがあっても、

次に来たときはいつも通りに「お!来たね~こんにちは!^^」とお出迎え。
まずはあいさつしながら、その子の表情からいろんなことを読み取ります。
「あ~、今日はなんかむしゃくしゃしてる感じだな~」
「お、今日はなんかいろいろ話したいみたいだね♪」
などなど、聞かずとも感じるその子の様子で、私も周波数を合わせていきます。

 

けれど、いくら調子良い感じで来館しても

子どものココロはちょっとしたことで変わります。

あの日も・・・何かがきっかけで切れだし暴れ出しました。体を張って彼らを落ち着かせました。

泣いて語りかけました。がむしゃらに…私の気持ちをぶつけていました。へとへとになるまで。

 

でも彼らは、そんなことがあってもまた児童館にやって来るのです。

 

今思えば、児童館に来てくれているうちはまだ良かったな~と。

高校生世代後半に児童館に来ることはなく、風の便りでカラーギャングに入ったことを知りました。

 

当時は私、目先の子ども達の行動に注目してしまい、

背後の子ども達の様々な生きづらさを感じる余裕がなかったな…。

今にしてそれを思います。あの時はそれが私の精いっぱいだったのは確か。

児童館1年目の、ほろ苦い経験でした。

 

時は過ぎ、彼らが24,5歳になった頃でしょうか? ばったりスーパーで、その中の一人と会いました。

「俺はもう足を洗って仕事をがんばってるよ。太田さん、懐かしいな~。」って、

バスケして笑いあっていた時の笑顔と同じ表情を見て、私の心が喜んだのは言うまでもありません。

全力投球!…な児童館事業

[児童館の思い出14年史]

児童館職員としての14年間。足跡を綴ります。

子どもに関わる方、親御さんに、子どもとの関わりのヒントや児童館のような場所(学校でも家でもないナナメの関係ができる場所)の存在意義を知っていただけたら嬉しいです。

これから私が関わっていく『進学塾 みらい学舎』も・・・

もしかしたら“ナナメの関係”が作れる場所かもしれない。

教育と福祉、混ざりそうもないこの関係を、新たな視点をもってチャレンジしていきたいと思います。(太田佳代子)

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【児童館の思い出4:全力投球!…な児童館事業】

 

み~んな初心者、児童館職員^^;

「児童館事業」を企画して運営するなんて!!!そりゃあ、緊張とプレッシャーと、不安ばかり。

どうなるのかなんて、誰もわからない。

 

とにかく、入念に準備あるのみ!月一回で行われる「ちびっこランド」という未就学親子対象の事業では、

はじめの踊りを毎朝練習!「うさぎさんの体操は~ぴょ~んぴょ~ん、ぴょぴょんぴょ~ん♪」

リハーサルも、入念なく。

当日も3~4人態勢で事業に入りました。(現在は2名)

 

当時の振り返りノートを、私は大事に保管しているのですが、

本当に一つ一つの事業に、それぞれが感想を書きあい、

次の事業にむけて一生懸命やっていた事がわかります。

 

今年度児童館職員になったお二人は、はいってすぐに、本番!

きっと想像を絶する緊張感なのではないかな?

改めて、初めての方に対する配慮と理解を・・・私こそ一番、感じなくてはな~と思います。

ワークシェア!!

2014.5.7 [児童館の思い出14年史]

児童館職員としての14年間。足跡を綴ります。

子どもに関わる方、親御さんに、子どもとの関わりのヒントや児童館のような場所(学校でも家でもないナナメの関係ができる場所)の存在意義を知っていただけたら嬉しいです。

これから私が関わっていく『進学塾 みらい学舎』も・・・

もしかしたら“ナナメの関係”が作れる場所かもしれない。

教育と福祉、混ざりそうもないこの関係を、新たな視点をもってチャレンジしていきたいと思います。(太田佳代子)

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【児童館の思い出3:ワークシェア!!】

次男が小学生に上がるまで、私は週3日の契約で児童館職員をさせてもらっていました。

そして、私の他に週3日契約で職員をしてくださっていた方が必ずおりました。

要するに、“ワークシェアリング”をしていたんですよね。

今のはまさき児童館では考えられない働き方です。

 

もともと、職員が足りないところで現れたのが乳幼児母の私。

保育園の関係などで、週3日しか働けなかったのです。

実は、あと数日私の採用が遅れていたら、私は児童館におりませんでした。

他にフルタイムで働くことが可能な方が現れたのです。

しかし、私の方が先だったため、その方は私とワークシェアをして働くことになりました。

 

乳幼児の母である私にとって、このワークシェアリングという働き方はベストでした。

さらに、児童館は月曜の週休以外は、不定休でとることができました。

他の職員さんのあたたかいご理解があったおかげで、子育てをしながら、大きな無理をすることなく、

仕事を続けられる環境を得ることができたのです。

 

私がいうのもなんですが、

児童館にとってもワークシェアリングという働き方はメリットも多いのではないかと考えます。

★職員の数が増えることで、人手が必要なときは全員出勤、少なくても大丈夫な日で調整可能。また、互いが休みやすくなる。

★来館者にとって、児童館で出会う職員は多様である方が良い。合う合わないもあるし、それぞれの持ち味や強みが、事業や遊びの幅を広げるから。

★児童館を利用する当事者世代が働きやすく、当事者を理解した事業運営ができる(当事者の今必要なことがわかる)。

 

給与体系が複雑になるなど、今ではなかなか許されない働き方・・・ですが、

当事者の声を現場に生かすためにも!

また、子育てをしながら社会につながれるしくみをつくるためにも!

“ワークシェアリング”という働き方を復活してもらえたら嬉しいです。

少なくとも、私はこの働き方に感謝しています。一緒にワークシェアをしてくれた方にも感謝です^^

“あいさつ”って素晴らしい!

2014.5.6 [児童館の思い出14年史]

児童館職員としての14年間。足跡を綴ります。

子どもに関わる方、親御さんに、子どもとの関わりのヒントや児童館のような場所(学校でも家でもないナナメの関係ができる場所)の存在意義を知っていただけたら嬉しいです。

これから私が関わっていく『進学塾 みらい学舎』も・・・

もしかしたら“ナナメの関係”が作れる場所かもしれない。

教育と福祉、混ざりそうもないこの関係を、新たな視点をもってチャレンジしていきたいと思います。(太田佳代子)

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【児童館の思い出2:“あいさつ”って素晴らしい!】

児童館勤務初日。

年子の長女と長男を幼稚園に送り、そのまま志木の実家に次男を預けに行きました。

長女と長男も、幼稚園の延長保育を使うことになって、みんながそれぞれに新生活の始まり。

でも、私は緊張感の中にワクワクする気持ちを抱いて初出勤したような気がします。

 

当時のメンバーは、朝霞市から出向されている館長と社協の正職員さん二人。そして児童館準備期間から臨時職員として働いているMさん。

みんな児童館経験はゼロ。だから何もかもが試行錯誤で初めてだらけ。

 

館長が大事にしていたことは二つ。

★みんなが初心者。ここでは館長も臨時職員もない。みんなでアイディアを出し合い、みんなで取り組んでいこう。

★初心者でもできることはある。それは“あいさつ”。来館者が来たら元気に笑顔であいさつして迎え入れ、帰るときには「また来てね。今日はありがとうございました。」の気持ちであいさつをしよう。

 

とっても嬉しかったな~。

私も何ができるわけでもないけれど、一人でより二人、二人よりもみんなで平場で肩寄せ合い、語り合いながらこれからこの「はまさき児童館」を創っていく仲間になれたと思うと、本当にうれしくて、前向きな気持ちになりました。

 

そして、あいさつ!!!(^^)

 

私も当時は乳幼児の母。他の市の児童館をよく利用していました。

そこの職員さんはいつも事務所の中。こちらは勝手に遊ばせてもらうだけ、という感じでした。

それが「児童館」だと思っていました。

 

でも、はまさき児童館では来館したらまずあいさつ。

事務室から顔を出し、ある時は入口まで行き(子どもが二人以上とか、何かと入るまでに大変な方もいるのです)、

保護者の方にも子どもたちにもあいさつをするのです。

 

これまで私が利用者として使っていた児童館とは違う、

『児童館』になる予感がしました♪

運命の神様は誰?!

[児童館の思い出14年史]

児童館職員としての14年間。足跡を綴ります。

子どもに関わる方、親御さんに、子どもとの関わりのヒントや児童館のような場所(学校でも家でもないナナメの関係ができる場所)の存在意義を知っていただけたら嬉しいです。

これから私が関わっていく『進学塾 みらい学舎』も・・・

もしかしたら“ナナメの関係”が作れる場所かもしれない。

教育と福祉、混ざりそうもないこの関係を、新たな視点をもってチャレンジしていきたいと思います。(太田佳代子)

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【児童館の思い出1:運命の神様はだれ?!】

 

14年前の昨日、5月5日。

私が勤める「はまさき児童館」がオープンしました。

私はまだその時点では児童館職員ではなく、4歳3歳1歳の子の母であり、専業主婦でした。

14年前は、夫の実家にみんなで帰省していましたね^^

 

あれは偶然の必然?!

 

南朝霞公民館に児童館臨時職員募集のポスターが貼ってあり、

「あ~いつかこんな仕事ができたらいいな~って思うんだよね。」と、友人(この女神さまは誰だったんだろう?すっかり忘れてる!!)につぶやいたところ、

「え~、じゃあ履歴書だけでもだしてみたら?いつかつながるかもよ~♪」と、かる~く言われ、私も、

「そっか~^^じゃあ、電話してみよう♪」と、後先あんまり考えずに気づいたら行動していたんです。

連休前の4月末、ちょうどその日が募集最終日だったので、夕方ぎりぎりセーフの5時すぎに当時募集窓口だったきたはら児童館に電話したんだったな~。

 

そして連休明けに、運命の電話。

はまさき児童館の館長からでした。「週にどれくらい働けますか?一度来館して面接させてもらえませんか?」

私、まだ1歳の末息子を連れて、たしか、普段着で(笑)面接に行きました。

しかも面接の場所は、はまさき児童館のゆうぎ室。

息子をボールプールで遊ばせながらの面接(笑)

 

どんな面接内容だっかはあまり覚えていませんが、

こうして5月末の火曜日から、週に3日間、夫や実家の母の協力を得て、また保育園の一時預かりの制度を活用しての

「はまさき児童館臨時職員」生活が始まったのでした。